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Real & True Live Series Nik Baertsch Solo Piano 公演  
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◆Real & True Live Series Nik Baertsch Solo Piano 公演

Nik Baerstch がかかわっているMobile と Ronin というバンドがあります。彼のソロ・ピアノは当然、それらのプロジェクトと不可分のものです。そこで、Mobile と Ronin を含め、Nik の根本となる考え方について書かれた、Nik Baertsch のインタヴュー 記事("All about Jazz" 2006年 7/24号、原文英語)の一部をご覧ください。Nik のマネジメントより許可をもらって和訳しました。

Nikは日本に一人で来て、日本文化を学び、大学で哲学を学んだことがあり、インタヴューにはその辺を感じさせる部分もあります。

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(Nik)
最初、20代の頃、それまで経験した異なる音楽スタイルを一つのコンセプトにまとめることが私には重要だった。なぜこれをしているのだろうか、なぜ音楽が好きで、なぜ演奏し、作曲するのか、それらの意味は一体何なのかということを自分に問うた。

コンセプトにとって重要なので、それより少し前の頃から話をしよう。最初はジャズ、ファンク、ポップを弾き、それから16才になって、とてもいい教師についてクラシック音楽をやりはじめた。しかし、こうしたスタイルやコンセプトやバンド、特にジャズ・グループで私は中心となる部分、作業の継続性、を見つけることができなかった。私独特の何か、真髄のみを取り出したようなものが欲しかったのだ。そこで、大学でピアノの勉強をしてから、ジャズ・バンドで演奏するのをやめ、たくさんのコンサートをするのをやめた。クラブで演奏するのもやめ、アンプを通して演奏するのをやめた。

そのとき、新しい形のコンサートを創った。Mobile (モビール)と呼ばれた最初のバンドを始めたのだ。 このバンドと私は速く動くクラブ・カルチャーと違ったものを創りたかったが、また一方で堅いクラシック・カルチャーとも違うものを創りたかった。私たちは音楽だけでなく、その部屋、照明や時間が重要な役割をもつリチュアル(儀式)、音楽儀式を創りだした。それは一種のマルチ・メディアの考え方だったが、ヴィデオをたくさん使うとかいうようなものではなく、ライヴ・パーフォーマンスの全ての要素について考えていくという意味でよりマルチ・メディアだった。このリチュアルの最初のものは 2000年に行われた。ほとんど2年間にわたり準備し、コンサートは 36 時間連続のものだった。

この(長い)演奏の間、グループの構成は変わったが、最低でもプレイヤーが一人は演奏していた。つまり、デュオ、トリオなどいろいろな演奏の可能性があったのだ。Mobile は当時カルテットだった。36 時間コンサートの後にあの黒い(ジャケットの)Ritual Groove Music と題した最初のアルバムを録音した。それが私たちのモットーだった。全てのミュージシャンがその36時間コンサートにいたということが、このような演奏の形態が音楽にフォーカスと集中をもたらすはずだ。みな、音楽に集中しそのエネルギーを感じた。また、何ができるか、疲れたらどうなるのかということも感じ取った。このような状況では音楽のエネルギーに大変近づくことができるのだ。

このリチュアルで私たちは単に即興演奏をするような音楽的実験などをしたのではない。とても長期間にわたり準備した。私は多くの曲を書き、みんなで練習した。曲のパターンについてモジュールとして演奏していた。これがモジュール的考え方の始まりだった。これは私の発明ではない。例えば、多くのパターンやパターンのコンビネーションを使った「春の祭典」のようなストラヴィンスキーの作曲の仕方にも見つけることができる。また、モートン・フェルドマンも音のパターンを集めることにより、多くの可能性を創りだしたモジュラー作曲方法を発展させている。

これは例えばベートーヴェンのような伝統的なウイーン学派のリニアーな考え方や思考を発展させるといったナレイティヴな考え方ではない。音楽のパターンを組み合わせることによりスペースを創ることだ。そう、これはスティーヴ・ライヒの音楽で役割を担っている。しかし、私やバンドにとっては、こうした経験を、例えばラモンテ・ヤングのように再現だけするようなことはせず、クラシック、ジャズとファンクの間にある何かを探すことことが大事だった。よって、演奏するとき、例えばクラシックのように、スコアについて詳細な解釈をしたりする一方、ジャズやファンクから得たタイミングの重要性について知っている、というような経験を積んでいることが重要だった。また、例えばポップ・ソングにおいてソロをとるときのように、謙虚で演奏し過ぎないということも大事だった。

(聞き手)
特にMobile (モビール)ではどそうだと思うのですが、音楽が本当に存在するためには各メンバーが一つのグループ精神の下に自分たちのエゴを置くということがとても大事になるでしょう。

(Nik)
その通りだ。まったく。私たちにはそれがうまくいくという保証はなかった。バンドが数年の間に成長するかどうかは分からなかった。それで、もし皆がずっと一緒にい続けたら、音楽を発展させることができるかどうかを探るため、いろいろなプロジェクトを作ったのだ。危機的状況を幾つかくぐりぬけた。あの 36時間コンサートの後、その経験があまりにも面白かったので、次の3年間にわたるコンサートのトリロジーを作り上げた。

質問にあった「リチュアル・グルーヴ・ミュージック」とは何かについて話そう。私のそれまでの成果、そして特にこのトリロジーの発展、Mobile との、そして後になってRonin との作業を経験して、非常にインテレクチュアルな新クラシック音楽に対する、音楽的儀礼(リチュアル)とグルーヴ音楽を創造していくミクスチャーというものを見つけた。私もニュー・クラシック音楽は好きだが、私には精神とともに身体も必要なのだ。「リチュアル・グルーヴ・ミュージック」というフレーズは(私たちの音楽が)どういうものかを表すためのちょっとした言葉なのだが、その背景には大きな宇宙がある。多くのディテイルがあるのだ。

最初の(36時間)コンサートの後、このような儀礼やイヴェントを創りだすのは単にチャレンジングであるだけでなく、多くの時間、お金、準備が必要だということに気が付いた。約3年後にもっとフレキシブルな、そしてある意味、攻撃的なグループで演奏するのも面白いのではないかと思った。それでRonin が誕生したのだ。その背景には、これが重要なのだが、私が自分を見つけるためとそのコンサートに備えるため武道を学んでいたことがある。この Ronin の精神、この武道の精神、特に合気道、は私にとってとても重要だった。

そのおかげで私はずっと集中することができ、かつとても謙虚で礼儀正しくしていられたのだ。他人や世界や他の音楽スタイルを無視したりするようなラディカルさはなかった。そのおかげで、私は自分の道をはずれることがなかった。したくないことをしてお金を稼ぐというようなことはしないという意味あいで、自分の音楽だけをやり他のことはやらなくてすんだ。私にははっきりした精神と訓練された身体があってそのようなリチュアルをすることができたのだ。Ronin とは武道精神に沿う名前だが、彼らは主のいない侍でもある。彼らは一種のアンダーグラウンドの人々であり、社会の半分影になった部分にいる人々でもある。彼らはRoninの世界についてのすばらしい漫画や映画のストーリーでしばしば描かれている。私はアイロニックな意味合いとしてそれが好きだ。

(聞き手)
(浪人ものの映画などについて) ええ、ああいう映画は好きです。皮肉ではなく。

(Nik)
あれは重要だった。深い音楽的な質問とは別に、私はバットマンのような闇で善のために戦うヒーローがとても好きだった。彼らはアンビヴァレントなヒーローのようなもので、例えばスーパーマンのように単なる明るい人物ではなかった。

(聞き手)
スーパーマンは薄っぺらで確かに体制側のものですね。

(Nik)
そうだ、そのとおり。構成要因が大事だった。一貫していること、何かに集中していること、でも一方で慎み深く、控えめで、演奏或いは単に社会において自分やバンドが行動によって何をしようとしているのかいつも証明してみせるようなことが。それで“ritual groove music” (儀礼的グルーヴ音楽)というのがモットーのようなものになった。そして Ronin や Mobile がバランスのようなものをもたらした。Mobile の名前は(彫刻家の)Alexander CalderのMobile から来ている。私が作曲した曲は最初 “polymetric mobiles” と呼ばれていたが、後でグループの名前に変えたのだ。この ritual groove music の宇宙においてこういう名前は意味をもっている。今はModuls (訳注:すべての曲にはModul として番号がふられている)として曲名があるが、最初、聞く人や演奏者のためにも、説明し過ぎたくなかったので、曲に名前を付けるようなことはしなかった。Mobile の最初のアルバムRitual Groove Music、あの黒いカバーのものだが、には曲のタイトルがない。

(聞き手)
そうですね。ただ、“1,” “2,” “3,” などと。

(Nik)
そうだ。番号と曲の長さだけだった。でも、いろいろな権利の問題にひっかかってしまった。そこで、バンドのメンバーがそれぞれの曲に名前をつけた。あるものは"blue piece"(青の曲)、或いは “elephant piece” (象の曲)と呼んだのだ。でも混乱があり過ぎた。そこで私の作曲の全体を表す名前を見つけるべきと考えた。曲に番号が付いていれば、それについて話ができ、歴史的なコンテキストに置ける一方で、曲同士をつなげることもできるということを表現できる。

(訳注:それで Modul xxx - 番号 という形になった)

(聞き手)
そうですね。例えば、 Stoa の中の“Modul 38_17”とか Randori の中の“Modul 8_9”のように、いつも曲同士を組み合わせていますね。

(Nik)
ライヴで演奏しているときも、それが大事だ。 私達のクラブ(チューリッヒの Bacillus Club)では、毎月曜日に何かやっている。ここでのコンサートではいろいろなパターンと曲をただ演奏するだけだが、いろいろなことが起き得る。ツアーに出るときはもっとセット - ショーのようなものを準備していく。私は両方とも好きだ。自由が好きだが、正確に且つ固定された方法で音楽のエネルギーに従うことも好きだ。ちょうど、伝統的なクラシック音楽の楽譜にあるように。実際はその間をよく探求した。ジャズの伝統では、曲はどのようなものにでもなり得るという形で自由を扱ってきた。そして、偉大なジャズのマスターたちでそういうことができる人がいる。しかし、素材に対してもっと控えめなアプローチに私はいつも興味をもっていた。でも一方で、クラシック音楽においては、それを解釈する人の自由がほんとうに少なく、楽譜のある場所に特定されていて、私にとっては制限的に感じられた。私は音楽の流れ、特にグルーヴ音楽が好きだが、グルーヴ音楽では音のコンビネーションと楽器演奏において、クラシック音楽にある厳密な微細さが足りなかった。多分、私はいろいろな音楽スタイルの幾つかの側面が必要な変わり者(笑)なのだろう。どれも好きだが、動き、演奏し、自由を感じることができるスタイルというのを見つける必要があった。でもストラヴィンスキーが言ったように、自由は形と構造から作られるが、構造は自分で選ぶものだ。