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■Life with Music
◆King Crimson デビュー当時の様子 1967 - 1970 年◆
Giles, Giles & Fripp (GG&F)、King Crimson がそれぞれのアルバムを制作し、活動していた時代の雰囲気を、彼らの足跡を一部交えながら、私の目を通して見てみよう。
1967 - 1970 年
1967年の夏、父親の仕事の関係で私はウイーンへ行くことになった。当時、日本は「グループ・サウンズ」全盛の頃でテレビでは「エレキ合戦」などという番組もあった。前年にBeatles が来日し、いよいよ日本も本格的に「世界の音楽の流れ」に巻き込まれる、という時期だ。当時小学生だった私には世界の潮流などわかるはずもなかったが、小さい頃からピアノを習っていたので音楽が変わってきていることには気がついていた。同じ頃 Robert Fripp は車のラジオから流れてきたBeatles のアルバム Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの曲を聞いていたという。この年の 8月Bournemouth の Beacon Royal Hotel でGiles 兄弟が Robert Fripp のオーディション を行い、採用を決めたが、早くも10月にはロンドンの Brondesbury Road 93A (番地)にアパートを借りている。この場所で努力を重ねたGG&F がKing Crimson の一方の核となっていった。
私の方といえば、ウイーンでインターナショナル・スクールに投げ込まれるやいなや、生活環境は一変した。英語を覚え、友達ができ、学校に慣れるに従い、音楽が毎日の楽しみとなっていった。当然のように Beatles, Rolling Stones, Bee Gees の音楽が流れるようになり、私も当然のようにピアノからギターへ興味が移っていった。ただ、将来自分が音楽の世界に身を置くことになろうとは想像だにしなかった。それも、King Crimson の音楽と出会い、Fripp 本人と仕事の話をし、果てはKing Crimsonの公演を東京で主催することになろうとは。人生とは不思議なものだ。
1968年の夏、私はイギリスの Hastings という Dover 海峡に臨む避暑地のイギリス人家庭で英語の勉強をしていた。Hastings はノルマン人が上陸した場所として歴史的に有名だが、街にビンゴゲームのホール、ゲームセンターや映画館がある典型的な保養・観光地だった。海沿いに西に向かえば、Brighton があり、そのまた西には Giles 兄弟やRobert Fripp が育ったBournemouth の町がある。海沿いにずっと東に向かえばCanterbury というロケーションだ。ゲームセンターの帰り、私はなけなしの金をはたき、街のレコード店でBeatles のSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band の LP を買った。まさか、当時はその LP が音楽史上重要なステップを築くことになるとは知る由もない。しかし、アルバムの一曲、一曲を繰り返し聞きながら、私は時代が動いていることを実感した。「コンセプトアルバム」という概念を確立した、とても統一感のある LP は サイケデリックなジャケットに包まれて登場していた。後にKing Crimson のメンバーとなったGiles, McDonald, Sinfield はまだお互い顔を合わせていない時期だが、彼らにとってこの LP はKing Crimson誕生に向けての隠れた天のメッセージではなかったか。
同じ夏、ロンドンに行くと中心街の Picaddilly Circus はヒッピーで一杯だった。噴水の周りの石段に思い思いに座ったり、寄りかかったり、寝転んだり。そこは汚れたジーンズ、長髪、ヘアバンド、髭、ギターといった当時の若者のシンボルに溢れていた。"Don't trust anyone over 30" というのが合言葉であり、それが彼ら Flower Children と呼ばれた世代のアイデンティティーのあり方を示していた。当時最年長であったMichael Giles でさえ 20代半ばであった。もともと故郷のBournemounth で流行の音楽とは一線を画して活動していた GG&F ではあったが、成功を夢見て出てきたロンドンで彼らが目にした光景は少なくとも表面上は反体制というイニシャルを捺された若者文化であった。その代表選手であった「普通の」ロック音楽に対して正面から挑戦したのがKing Crimson ではなかったか。GG&F はMcDonald と Sinfield という「曲」と「詞」の才能を得て King Crimson へと変貌していくが、世の中に迎合することをよしとしない彼らの音楽スピリットはこの頃のロンドンの街の精神をどう嗅ぎ取っていたのだろうか。
1968年、再びロンドンを訪れた私の目に飛び込んできたのは Beatlesの映画 Yellow Submarine を上映している映画館の看板であった。文字通りFlower (花 )のイメージが満載されたサイケデリック・ムービーは全世界でヒットした。ロンドンは相変わらずヒッピー文化の中心地であり、アメリカ西海岸のサンフランシスコと並び、世界中の若者にとって一種の聖地的役割を演じていた。巷に溢れるカラフルなサイケ調(という死語もある)の服や店を横目で見やりながら Giles 兄弟と Fripp は風変わりな服装に身を包み (Fripp は牧師の服装に戦闘機帽をかぶったりしていたらしい)レコード会社まわりをしていた。そして Decca と契約を結び、GG&F の初アルバムThe Cheerful Insanity of Giles, Giles & Fripp を録音する。当時の flower power 全開のロックとは隔絶された、むしろ古臭い雰囲気さえ漂うこのアルバムは Fripp によれば全世界で 600 枚も売れず、惨憺たる結果に終わっている。 「進み過ぎた」音楽の宿命と言えばかっこはいいが、地方都市からやって来たアパート住まいの三人の若者にとってはとても辛い日々であったであろう。最近発売されたThe Brondesbury Tapes もこの頃録音された作品をまとめたアルバムだが、ある意味で Peter Giles による究極 自宅録音(彼の Revox 使用の録音状態はプロのスタジオエンジニアも認めたほどよかったらしい)となったのは窮乏生活(?)のおかげかも知れない。活路を求めていたPeter Giles の目にとまったのはイギリスの音楽紙 Melody Maker ( 6月 )に載った Judy Dyble の小さな広告だった。これが縁でJudy と一緒に活動していた Ian McDonald 、McDonald と一緒に曲を書いていた Peter Sinfield が GG&Fとつながり、将来の King Crimson の大部分のメンバーが顔を揃えることとなった。歴史の不思議だが、McDonald も Sinfield も参加していないGG&F の新譜発表は実はこの夏での出会いの後( 9月) であり、 そういう意味では King Crimson は GG&F が世の中に出る前に誕生しつつあった事になる。1968年夏のマジックだ。

翌 1969年末頃、私はウィーンの家の自分の部屋でいつものようにオーストリアラジオ放送局が流す音楽を聞いていた。多分夕方、FM かAM かは覚えていないが何曲か続けて流れていた。すると突然まるで目の前の海が割れて道が出現するかのように、それまで聞いたこともないような、何とも形容しがたい、しかしとてつもない衝撃力をもった曲がかかった。圧倒的な緻密さとドラマチックな展開を併せ持った、有無を言わせない音楽美に私は完全に打ちのめされた。それまで私が聴いたどの音楽もそこまでのインパクトを与えたことはなかった。感動という言葉が生温く感じるような、むしろ電撃といった方が正確だと思う。ラジオでの曲紹介が聞き取れず、誰が演奏している何という曲かを知ったのは後になってからだった。しかし、わざわざ調べるなどといったことは必要なかった。その後、半年以上にわたり、市内のレコード店にはクリムゾン色の奇怪な顔が描かれたジャケットが飾られ、友人達は家や学校でそのレコードをかけた。14 才の私が聴いたのは King Crimson のデビューアルバム In the Court of the Crimson King のタイトルトラック The Court of the Crimson King であった。私の脳裏に焼き付いてる光景 ---- あるレコード店で、ガラス張りになっている店の壁全てにあのアルバムを隙間なく張り詰めてあった --- は 60 年代終わりにおける King Crimsonの強烈な登場を象徴している。ジャケットの表にはバンド名もアルバム名すらもないが、内側には全曲にわたる Peter Sinfield の大時代的な詞が書かれており、一曲目に針を落とすと 21st Century Schizoid Man が本当に出てきそうな過激な音作り、といった当時としては非常に先進的なコンセプトアルバムはイギリスにおいてBeatles の新譜 Abbey Road を抜き、新たな音楽世界を作り出した。An Observation by King Crimson と書かれたアルバムは、Beatles が60年代に創出した一時代を確かに "observe" した上で成立している。 (文責 大沢、2002/2003年)